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シニアマーケティング、根っこの話 vol.3「アクティブシニアの外食文化孝」

外食文化の定着には、女性の役割が大きく作用している

日本の外食文化は、江戸時代までさかのぼることができます。その頃の江戸は、各地からたくさんの人々が江戸へ移住し、その多くが単身の男性であったことや、参勤交代により妻子を故郷に残して江戸へやってくる武士が多いこともあって男性のための食文化でした。ところが昭和に入ると、1946年(昭和21年)には女性の参政権が認められ、1956年から始まる神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気という高度経済成長期の中、1985年(昭和60年)には、男女雇用機会均等法が成立。ますます女性の社会的な活躍できる機会と「場」が増えてきました。今回は、「女性と食」をテーマに、生活密着型でなお且つ、エンターテインメント化する「外食文化」にフォーカスし、現在、65~75歳のアクティブシニアといわれる女性の果たした「外食文化」との係わりをシニアマーケティングの視点で堀下げていきます。

一般家庭の女性たちの外食デビュー

女性が気軽に外食を楽しめるようになったのは、大正時代になってからです。東京の百貨店では、富裕層をターゲットにし、子連れの女性が使いやすい店をめざすようになり、百貨店は食堂を充実させます。そして、1927年(昭和2年)のお子様ランチの登場です。しかし、一般家庭の女性たちを軸に話しを進めると、昭和半ば過ぎまで百貨店の食堂で家族との会食を楽しむ以外、特に主婦には外食の機会がなかなかありませんでした。

1960年(昭和35年)、その当時の池田内閣により「国民所得倍増計画」が閣議決定されました。この計画には、10年間で所得を倍にするという「国民所得倍増計画」が盛り込まれるのに加え、次々と経済政策を打ち出し、その後30年近くも続く「成長の時代」の幕開けです。そのような社会環境の変化により、可処分金の額も増え、外食は、ただ食欲を満たすのではなく、いままで閉ざされていた欲望を発散させたのでしょうか。経済的にも余裕ができ、外食に限らず、様々なシーンでの一般家庭の女性たちの躍進した10年間でもありました。

いまを生きるアクティブシニアの幼児期の頃を振り返る

いま、65~75歳のシニアは、月に一度か二度、父親が一緒の時もありましたが、その多くは着飾った母親に連れられてデパートに行き、ランチはデパートの食堂で国旗が印象的な「お子様ランチ」を食べたのを思いだすのではないでしょうか。この時代、デパートに行くことはレジャーの一つで、子供たちも着慣れない「よそゆき」の服を着せられ、買い物の荷物の多い時には、ちょっと贅沢をしてタクシーに乗って帰宅する。父親は、エコノミックアニマルとして仕事中心の生活ですから、日常のレジャーは母親が主導する。ようやく、女性が外食文化に触れる事ができた。そのような時代です。

ファストフード、ファミリーレストランという食文化の台頭

すかいらーくが1970年(昭和46年)、日本初のファミリーレストランとして東京都府中市オープンしました。アメリカンスタイルの郊外型カジュアルレストランで、当初は、ファミリーというより、若者に支持されたという印象です。その後、ケンタッキー・フライド・チキン、ドムドムバーガー、吉野家(1968年にチェーン展開)などのファストフード店が台頭します。

ドムドムバーガーに遅れること1年、1971年(昭和46年)、ハンバーガー・チェーン「マクドナルド」の日本での1号店が銀座三越の1階にオープンしました。この頃の銀座は、前年から銀座通りで日曜と祝日の歩行者天国が始まり、銀座は若者から注目の場所でもありました。ベルボトムやホットパンツをはいた若者たちが、少しでも早く流行を取り入れるために集まり、たちまち流行の最先端として大きなムーブメントを起こすことになりました。「若者が立ち食いする風景に、三越や地元の商店街から銀座のムードにふさわしくない」とまで言われた話しは有名です。

1960年代後半は、学生が主導する反体制的な政治運動が世界各国で同時多発的に起こった「政治の季節」と呼ばれる時代で、アメリカの公民権運動やベトナム反戦運動、フランスの五月革命(1966-68)、中国の文化大革命(1966-76)などに端を発し60sレボリューションの時代でもありました。また、若者の暴力衝動やドラッグ文化を克明に反映したロックやアメリカン・ニューシネマが隆盛を極めていました。アメリカでは、女性解放運動が盛んでしたが、日本では労働環境一つとってみても、男女雇用機会均等法が成立するのが、1985年(昭和60年)ですから、その影響は限定されたものでした。

アクティブシニアは、青春期をどのように過ごしたのだろうか

この時代は、女性の外食文化にも大きな変化がありました。それまでも、洋食店や、イタリアン、フレンチなどのレストランはありましたが、女性同士や女性一人で、ましてや家族連れでは入り辛い環境でした。その点、ファミリーレストランやファストフード店は、これまでの日本の食文化にはない新しさ、そして、雑誌や、映画、テレビドラマに出てくるアメリカそのものを疑似体験できるワクワク感、格好良さがありました。また、子供連れでもOKというお客様を選ばないということや、それまで「立ち食い、立ち飲み」など、“はしたないとされてきた飲食スタイルが、当時の時代背景や「女性の自立」というムーブメントとも相まって、多くの女性から支持されたのかも知れません。

レジャーからエンターテインメントに進化した外食文化

1980年代になると、いまに続く長いグルメブームが始まりました。また、バブル期には、一流ホテルのレストランや、有名シェフが経営するフレンチ、そしてイタリアンに女性を連れていくという目的から、男性たちもそのブームに便乗させられたのも見逃せません。海外の名店で修業したシェフが開業したイタリアンは、イタ飯ブームを巻き起こし、ファミリーレストランも焼き肉、回転寿司、イタリアン、パスタ、和食など、専門性を求められ細分化していきました。そしていま、女性たちが自分の趣味・趣向、そして女性ならではの感性で、外食を楽しむ。海外や国内旅行、そしてグルメ特集、SNS、口コミなどの情報によって、女性たちの外食習慣が当たり前になりました。大人のTPOに合わせたお店選びにより、美味しいもの、話題性の高いものを求め始める傾向が顕著に現れています。外食文化探っていくと、そこには女性の大きな係わりを感じずにはいられません。

最後に、シニアマーケティングの視点から「食と女性」を考察してみます。

女性層を巻き込み、食文化、食のスタイルが普及・定着した

いまや食文化も成熟期に差し掛かっています。国別、カテゴリー別、ジャンル別の「食」も迷うほどに充実しています。現在、65~75歳のアクティブシニアは、子どもの頃には、母親の買い物に付き合わされ、ランチはデパートの食堂が定番でした。青春期はファストフードや数少なかったフレンチやイタリアンのレストランへ。成人期には、家族と一緒にファミリーレストランへ。また、バブル期を経験しており、誕生日、クリスマスにはホテルなどのレストランへ。壮年期には、夫婦揃って「食の名店」へ。そして、家族、友人と一緒に「焼き肉、中華、ラーメン」などを気軽に利用できるチェーン店へ。食文化の変遷とともにその時代を体感してきました。

そして、もう一つの大きなポイントは、日本人の持つ特異性にあります。

特にシニアに多く見られる特異性は、若年層に比較して顕著に表れます。それは、シニアが生まれ育った頃の日本の社会制度や教育が大きな影響を与えていることが分かります。

  • 「個」というよりも「多くの人」が興味・関心を示したことに対して初めて、自ら行動を起こす傾向にある。
  • 他人の目を気にするあまり、行動を起こす場合、周りで行われている事、状況を確認してから初めて行動を起こす。
  • 1980年代に日本のサブカルチャーの全盛期を実体験しており、マニアックな性格を持っている。

また、アクティブシニアは新しいモノ・コト・ヒトにはあまり積極的に関与しないと一般的に言われていますが、アクティブシニアの幼児期、青年期、壮年期を通して、嫌でも新しいモノ・コトとの出会いの連続でしかありませんでした。つまり、新しいモノ・コトにも貪欲に反応し、拒むことはない。それもアクティブシニアの大きな特徴です。

ただし、新しいモノ・コト・ヒトを受け入れるためには、5W2Hを具体的に提示する必要があります。また、マニアックな性格を持ったシニアが納得のできる情報の提供も不可欠です。使い古された言葉になりますが、「ただ単にモノ・コトを売るのではなく、そのモノ・コトのある生活を売る」。使う事によって生活がどのように変わるのかという事です。

ただ単に、モノ・コトを売るのではなく、使うシーンを含めた提案をすることによって初めて、アクティブシニアの市場は動きます。つまり、ターゲティングと的確なペルソナ設計から、その仮説を検証できるか、できないかが、アクティブシニア市場をこじ開けるキーとなります。

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